木魚歳時記第4790話

 また十念(十ぺんの念仏口称)を説いたのも、日常渡世に追われて閑(ひま)のない衆生に行じ易いようにという考えからであった。それ故、法然はむしろ、衆生が自律的にまたその志から戒律を守りまた多くの念仏を欲したとしたらならば、法然自身がそれをしたように謹厳に戒律を持し、また日に何万べんの念仏も望ましいと思ったであろう。しかし在家の衆生にとってその不可能なことを知って開かれた易行道なのであった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1424

       仙洞の魚青ざめて旱雲  旱雲(ひでりぐも) 

 京都御苑の「仙洞御所」へは、第二疎水(そすい)を経由して、琵琶湖の水が引き込まれているいるそうです。僕は子どものころに、御苑に遊びに行くと、この「仙洞御所」へ流れ込む水路に、ひらひら遊ぶ魚とたわむれるのが好きでした。「鴨川」と「仙洞御所」(取水口)へは、毎日、遊びに通いました!