法然房はしぶしぶ、いや、こわごわで参院した。しかし四十四、五歳の世慣れた上皇は、ごくお気軽に法然にお対しあらせ、まず叡空の微恙(びよう)を問い、さて、「そちのことは慈眼房からも九条大相国からも聞いていた。よく参った。一度会ってみたいと思っていた。」と仰せられ賜り、さて、みすを掃いのけられ給い、 (佐藤春夫『極楽から来た』)761
化野は極楽のやう冬夕焼 化野(あだしの)
「ボクの細道]好きな俳句(1840) 稲畑汀子さん。「霧氷ならざるは吾のみ佇みぬ」(汀子) 「霧氷」(むひょう)ならざるとは? 一夜にして消え去る・・霧氷のように清楚(執着のない)で居れない自己への懴悔(さんげ)でありましょうか? 人はみな、こんなことを思いつつ、美しい霧氷を見ながら、そのそばに佇(たたず)みたくなるのです。(思うに)霧氷には、それほど、見る者の「自我」を寄せ付けない厳しさも漂うのです。
わたしや、しあわせ。
じひにみちられ、
みちたをじひわ、どこにでる。
なむあみだぶと、くちにでる。
これにさいちがたすけられ。
『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)