木魚歳時記 第3924話 

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 二条天皇が中宮子内新王に冷淡であったのは、美福門院の勢力の加わるのをおそれた奸臣経宗らが天皇の多子を愛し給うのを奇貨として中宮を遠ざけ奉ったためで、中宮は二十で落飾あらせ、そのあとに二代の后が再入内あったわけである。
再度の入内前から多子は鴨川の東岸近衛河原に居住していらせられ、これを「大宮御所」と称していたが、二条天皇崩御の後も再び近衛河原に隠棲あらせた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)605

        僧院はなんじゃもんじゃの花ざかり

 「ボクの細道]好きな俳句(1673) 橋 閒石さん。「階段が無くて海鼠の日暮かな」(閒石) おもわず「空へゆく階段のなし稲の花」。田中裕明さんの遺作を思い出しました。裕明さんは白血病で早世された作家です。さて、閒石さんの作品については、いくつか読み方ができるでしょう。ボクは、夕餉の食材として、流しに水漬けされた海鼠(なまこ)。流しに階段があったとしても、海鼠には足がありません・・読者がいろんな想いをめぐらせることが可能なのが、短詩形である俳句の魅力です。

 鼬(いたち)1 貧乏な、しかし、さっぱりした品のいい鼬先生。ひょこひょこと、道の上を往ったり来たり。溝から溝へ、また穴から穴へ、時間ぎめの出張教授。(ルナール『博物誌』より)