二条天皇が中宮子内新王に冷淡であったのは、美福門院の勢力の加わるのをおそれた奸臣経宗らが天皇の多子を愛し給うのを奇貨として中宮を遠ざけ奉ったためで、中宮は二十で落飾あらせ、そのあとに二代の后が再入内あったわけである。再度の入内前から多子は…
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