木魚歳時記 第232話

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聞法の 百菩薩あり 額の花

 我れ昔より造る所の諸(もろもろの)の悪業(あくごう)は、皆(すべて)無始(むし)の貪瞋痴(とんじんち)に由る。身語意(しんごい)より生ずる所なり。一切我れ今懺悔(さんげ)したてまつる。

 

 四番目は「懺悔偈」(さんげげ)文(もん)です。仏教では懺悔(さんげ)と濁らずに読みます。わたしたちは、生まれてよりこのかた、心ならずも(気付こうと気付くまいと)、行動、言葉、心(心語意)において、さまざまの罪(過ちを)を犯してきたはずです。今、これを悔い改めましょう。と、さきほど道場に入られた如来(ほとけ)さま、菩薩さまにお誓いするのです。
 仏教においては、罪(過ち)が起こるのは、この世(大自然)の「真実」に対しての無知が原因と考えます。すなわち、無知に由り貪瞋痴(煩悩)が由り引き起こされるのです。この貪瞋痴(煩悩)に由り引き起こされる過去の罪(過ち)を悔い改めるだけでなく、さらに将来に対しても、「真実に基いた暮し」を誓うのがこの文(もん)であります。