木魚歳時記 第158話

f:id:mokugyo-sin:20131217112706j:plain

いうほどに なに事もなし 秋茄子

 俳句の季語について。最小限で最大の効果を生むため、季語は有効な働きをします。たとえば、山笑う(春の山)、山滴る(夏の山)、山粧う(秋の山)、山眠る(冬の山)。これらの季語から雄大なイマジネーションが迫ります。

 さて、昔の家屋には「縁側」がありました。そして「内と外」との接点の役割を果たしてきました。いま、この生活空間がサッシに変わりつつあります。功利的な考え方からすれば、縁側は「あいまい」な空間、余分なスペースと映るのでしょう。しかし、「間」の効用、「無用の用」として縁側が果たしてきた役割は大きい。それが、今、消えつつあるのは気がかりです。

 山笑う、山滴る、山粧う、山眠る…こんなスケールで、日々豊かな感動を得、新たな意欲を生みだしたい…それがわかりながら、ぼくの俳句は上達しません。

「妻うふふ ハタと鳴きやむ 秋の虫」