木魚歳時記第4929話 

前扁(10)小消息(こしょうそく)

  末法の世では、わが身の善悪を顧みず、
  教えを信じ、往生を求めて 念仏を多く称え、
  罪を犯さないように努めよ。

 末法の時代の衆生を、極楽に往生できるかできないかの能力に当てはめて考えるとき、修行が少なくても疑ってはなりません。一遍や十遍の「念仏」で充分なのです。(罪業を犯す)罪人であっても、疑ってはなりません。「罪深くても、分けへだてはしない」と説かれます。「私たちは煩悩(ぼんのう)を備えた凡夫である」と説かれます。勅伝第21巻 (青色 法然上人のお言葉)

       姉上は永久の眠りや星月夜  永久(とは)

 

木魚歳時記第4928話 

前扁(9)安心(あんじん)

  念仏者の心がまえは、往生を願い、
  念仏すれば阿弥陀仏がお迎え下さると
  信じる以外にない。
  それが自然三心となる。

 「阿弥陀仏」(あみだぶつ)が迎え下さると信じて、念仏、すなわち「南無阿弥陀仏」(なむあみだぶつ)を称(とな)えます。三心(さんじん)とは、至上(しじょうしん)、深心(じんしん)、廻向発願心(えこうほつがんしん)の三つのことです。念仏者の心構えのことです。お浄土に往生をと願うなら、自然に、三心は備わります。「南無阿弥陀仏」(なむあみだぶつ)を称えれば往生は適えられます。勅伝第24巻 (青色 法然上人のお言葉)

          中腹に煙ひとすじ秋日和

木魚歳時記第4927話 

前扁(8)万機普益(ばんきふやく)

  浄土宗が他の宗に勝り、
  念仏が他の宗により優れているのは、
  万民を救済する点にある。

浄土一宗が他の諸宗に勝り、「南無阿弥陀仏」(なむあみだぶつ)の実践が、他の様々な修行より優れているということは、末法の時代に入り、(幾世紀もつづく)仏教の教えに衆生がついて行けないからです。すなわち、念仏(「ナムアミダ」)が、「浄土宗」の修行が他の修派に勝り、他の様々な修行より優れていると言われるのは、「万人救済」だからです。勅伝第45巻 (青色 法然上人のお言葉)

         しばらくはこのまま居たい花野原

 

 

木魚歳時記第4926話 

前扁(7)諸仏証誠(しょぶつしょうじょう)

  六方 の諸仏が教えの正しさを証言しておられるから、
  念仏して弥陀の本願、釈尊の付属、諸仏の守護を、
  一身に受けよ。

 衆生の往生は、弥勒菩薩(後のアミダ仏)の「四十八願」により導かれます。しかし、「四十八願」の願いが、衆生へと伝わるには問題があります。それは、「四十八願」が伝播(でんぱん)するのに幾世紀という時の流れを要することです。そこで、六字の名号、すなわち「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」に注目いたしましょう。「他の修行より勝っている」と、諸仏より知見されるところです。勅伝第25巻 (青色 法然上人のお言葉)

        わき道へ曲りたくなる暮の秋  

木魚歳時記第4925話 

前扁(6)五劫思惟(ごこうしゆい)

  法蔵菩薩は、
  「一切衆生を平等に浄土に迎えるため、
  「私の修行の功徳を
  南無阿弥陀仏の六字にこめて
  人々に考えさせよう」
  と決意された。

 法蔵菩薩(後のアミダ仏)は、衆生が浄土往生する筋道についてお考えになりました。そのために五刧(ごこう)という歳月を要されたそうです。しかし、この時間的長さは、衆生の往生に要する行(ぎょう)としては長すぎる。そこで、『私(後のアミダ仏)の有する功徳、すなわち「念仏」、すなわち、六字の名号(みょうごう)「南無阿弥陀仏」(ナムアミダブツ)にすべてをゆだね、衆生が「念仏」すなわち「南無阿弥陀仏」を深く信じて、これを称(とな)えるならば『法蔵菩薩(後のミダ仏)の願に適(かな)い。往生出来るであろう』。と、説(と)かれました。勅伝第32巻 (青色 法然上人のお言葉)

       斑猫と来て化野の念仏寺  斑猫(はんみょう)

木魚歳時記第4924話 

 前扁(5)選択本願(せんちゃくほんがん)

凡夫が念仏で往生でき  るという教えは、阿弥陀仏が法蔵菩薩のときに立てられた本願に基づく。        

『無量寿経』(むりょうじゅきょう)に、もし「私(法蔵菩薩)が、仏(アミダ仏)の位を得たとしても、十方の衆生が「四十八願」に準じて、私の国に生まれたいと望みながら、もしくは、アミダ仏を「十念」して、それでも、衆生が往生できなければ、私(法蔵)は覚りを開かない」。と、申されました。これを「本願」と称します。また、中国の善導大師は、この「本願」ないし「十念」について、衆生が往生を果せなければ、わたし(善導)は覚りを開かないであろう」。と釈されました。 勅田25巻 (青色 法然上人のお言葉)

        仏桑華咲くや西方弥陀浄土  仏桑華(ぶっそうげ) 

木魚歳時記第4923話 

前扁(4)出世本懐(しゅっせほんかい) 
  仏往生の本願は、
  阿弥陀仏が一切衆生を
  平等に救おうとする慈悲に基づく、
  釈迦が出現されたのは、
  この教えを説くためである。 

  『観無量寿経』に「仏の心とは大慈悲に他(ほか)ならない」と説かれます。 善導大師は、この一文を受けて「(アミダ仏)はこの平等の慈悲(じひ)によって、あまねく一切(の衆生を)救い取る」と解釈されそうです。勅伝第28巻 (青色 法然上人のお言葉)

        まくなぎに一匹分の重さかな