木魚歳時記第4922話 

 

 前扁(3)聖浄二門(しょうじょうにもん)

     念仏の修行は、
  智慧を極めて覚る道ではなく、
  愚痴に立ち戻って、極楽に生まれる道である。

  「聖浄」は、「智慧を極めて極楽に往生する浄土門」と、「愚痴(ぐち)に還(かえ)って極楽に往生する往生する」。つまり「聖浄」(しょうじょう)二つの教えを説きます。とりわけ「愚痴(ぐち)に還(かえ)ること」が大切です。 勅伝第21巻 (青色法然上人御言葉

      西方に極楽と有り曼殊沙華  曼殊沙華(まんじゅしゃげ)

                   

木魚歳時記第4921話 

   立教開宗(りっきょうかいしゅう)

      仏教の覚りは三学にあるが、
        それに堪えられないと思った私は、
        三学よらない道を、
        善導の大師の教えの中に見出した。

   前扁(2) 「立教開宗」(りっきょうかいしゅう)とあります。三学とは「戒定智」(かいじょうえ)の三種類の修行方法のことです! 小乗仏教、大乗仏教、顕教にそれぞれ三種類ある! れによらない教えを、法然上人は善導の教え,、つまり、中国の善導大師の『観経疎』(かんぎょうのしょ)の中に見出されたのです。ナムアミダブツとの出会いです!  勅伝第6巻

         草庵の蛇穴に入る暮の秋

木魚歳時記第4920話 

  はじめに。このたび、不思議なご縁を頂戴し、総本山知恩院布教師会(TEL075・531・2157)より初版(平成22年4月25日刊)の 法然上人のお言葉ー元祖大師御法語ー の冊子を知りました。そこで、転載認可を頂戴し、冊子の一部をアップ(月曜予定)させて頂きます。  ブログ筆者 敬白  

     遇い難い仏に遇いながら
     虚しく時を過ごしてはならない。

 前扁(1) 「難値得遇」(なんちとくぐう)。目の不自由な亀が、大海を漂う浮木に辿(たどり)りつく困難の例え話のようなものでしょうか! ブログ筆者も、学生時代の気持ちに戻り、釈迦の教え、すなわち、仏教について、ふたたび、仏典を紐(ひも)解けることを楽しみにしています。勅伝第32巻 

       始まりも終はりも見せず星流る

 

木魚歳時記第4919話 

 全く無思想なただ温和に容易な修行とだけ見えた教えの底に、この畏怖すべき法力が秘められていたとは、その初め、法然以外誰が知っていただろうか。
 徳川家康がこれを借りて国内統一を企てたのは、法の真意を知らない全くの逆用で、ために法の真意はいささか誤られたかの観もないでは無い。「されどこの法は人これを誤るともこれを誤るとも法は誤られ給わず」といいたい。
(佐藤春夫『極楽から来た』 参照:4894 話
(付録章『一枚起請文』) おわり

         西方に「極楽」と在り秋うらら

   相棒には、数えきれない世話を掛けて来ました。しかし、そのお返しは「西方極楽」に行ってからになるかも(汗)。さて次回よりのブログアップは、筆者の都合により、週1回(月曜日)に変更させていただきます。次回:10月中旬を予定)。

木魚歳時記第4918話 

  法然はとどまり給わず」わずか半世紀の間に早くも、都鄙(とひ)に伝播し、衆生の心奥に浸透して血肉化し、今や衆生の生活指針とも実行能力ともなって、あらゆる人為的な統制力や権威をも、おもむろにしかし確実に崩壊せしむるきざいを現わし、庶民のすべてを自覚させて法(真理)の支配下に導いて、愛による温和な革命が現実の緒についていた。 それが俗界の権威を把握している鎌倉幕府にも、霊界の権威とうぬぼれていた叡山をも狼狽させおびやかしたものと見える。

(佐藤春夫 付録章『一枚起請文』)

        ふらここや到達点は俺のもの

 ぼくは、定年退職(65歳)して俳句(太字)を始めました。それをブログに残してみたい! そんな思いからブログを続けました(汗)。俳句を始めて5年ほどは、納得できる作品が詠めたような気がします。しかし、ブログ筆者の集中力は落ちました。嗚呼。

木魚歳時記第4917話 

 その三十年ばかり以前にも鎌倉幕府が念仏僧を途にに要して捕え、その黒衣や袈裟を奪って焼いた。また叡山抱きは己が黒谷の僧、法然の著書『選択本願念仏集』(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)の版木を、山上大講堂前で焼いたこともあった。(佐藤春夫 付録章『一枚起請文』)

       満月や話をするなもの云ふな

 ところで、ぼくは結婚(27歳)してから、「二足ワラジ」を通して来ました。そして、妻和子は、結婚(22歳)以来「常夜灯」のように、お寺の守りに尽くしてくれました(汗)。とりわけ、今、ぼくの介護に面倒を掛けています(汗)。嗚呼。 

木魚歳時記第4916話 

 上野国の学僧で、叡山並榎(なみえ)の堅者(りつしゃ)定照(じょうしょう)は、上野の叡山領を管していたが、荘園内の念仏興隆に抗し切れず、えせ忠義立に本山の僧兵を扇動して迫害に乗り出し、「すべからく専修念仏を停廃せしめべし、但しその根本により、先ず源空が大谷の墳を破却してその遺骸を鴨川に流し、又門弟隆寛幸西等を遠流に処すべし」と騒ぎ立てたのがこの暴挙の起こりである。
(佐藤春夫 付録章『一枚起請文』)

        大空はなにごともなし鳥帰る

 「鳥帰る」は春季となります。春から初夏にかけて渡って来て営巣、繁殖するようです。こうしたツバメとかホトトギスなどの「夏鳥」と違い、ぼくは、すっかり「居付鴨」となってしまいました(汗)。