木魚歳時記第4631話

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 明雲の弟子の梶井の宮という方は昇任親王と申して、院の息子でいらせたが、義仲が法住寺殿に火をかけた時、「我は宮なり」と連呼しながら火中からは脱出したが、生け捕りとなった末に明雲の弟子にされて梶井の宮と呼ばれて呼ばれていた方であったが、当年の無邪気な少年が今は成人して、日々院や内裏へも参るようになっていて、それが浄土寺の二位と密通しているという風聞があった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1270

      ミイラ仏抱き古知谷の山眠る  古知谷(こちだに)

 「ボクの細道]好きな俳句(2368) 摂津幸彦さん。「黄金の蓮へ帰る野球かな」(幸彦) ふむ。打球が「破れ蓮」(やれはす)に吸い込まれた。もしくは、敗荷(はいか)を眺められた時、ふと、自身の「欣求浄土」(ごんぐじょうど)の思いが頭をよぎったのかも?  

人間の生活は
失望の向側に
始まるみのだ。
(サルトル)