明雲の弟子の梶井の宮という方は昇任親王と申して、院の息子でいらせたが、義仲が法住寺殿に火をかけた時、「我は宮なり」と連呼しながら火中からは脱出したが、生け捕りとなった末に明雲の弟子にされて梶井の宮と呼ばれて呼ばれていた方であったが、当年の…
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