木魚歳時記第4810話 

 蔵人頭としてこの事を奉行した三条長兼は、その日記『三長記』(さんちょうき)に、この時の感懐を「この両人の操行たとえ不善なりと雖(いえども)、勧(すす)むる所は念仏往生の義なり。此事によって罪科を行わるるは痛哭(つうこく)すべし。この時に当たり此事を奉行するは先世罪業の然らしむるところか」と記し、嘆いている。
 しかし衆徒はこの処置に満足しなかった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1444 

           訪れは雨たればかり額の花

 「額の花」(がくのはな)は、紫陽花(あじさい)の傍題で夏季となります。梅雨に入ると、訪れるのは雨たればかり・・寂しい。それよりも句意がわからない? ぼくがこのような「つぶやき」俳句を作るのは、まあ「勘」(かん)だけ良い方ですが・・文芸センスナシ! 学習的進歩ナシ! 遺伝子(?) 嗚呼。