木魚歳時記 第117話

f:id:mokugyo-sin:20131215133836j:plain

底ひより 鯰くりだす 印旛沼

大いなる放棄(3)

 釈尊は、後日、このように述懐しておられます。「出家・乞食(こつじき)の生活に入るのは、誰に強いられたからでなく、もろもろの怖れからでもなく、財貨の苦しみからでもない。それは、生・老・病・死に対する悩みを滅ぼさんがためである」と。

 大いなる放棄なくして大いなる獲得はない。最高のものを求めようとすれば、一切を捨てそれに向かわねばならない。「生・老・病・死こそ大自然の摂理である」。この真実を自身に求め、この真実を他に示さんがために出家をされたのでありましょう。
 14歳のとき、世俗のわずらわしさと穢れを離れ、もの静かで清らかな沙門(修行僧)の姿を目にされ、沙門の暮らしこそ真実を悟った者の生き方である…その思いが大きくなり、ついに15年後、沙門への道を決意されたのです。