2013-12-30から1日間の記事一覧

木魚歳時記 第940話

水は方円の器にしたがう 源信僧都(げんしんそうず)のことばです。「人の心は水の器(うつわ)に従うごとし、器(うつわ)方(ほう)なれば則(すなわ)ち方(四角)なり。器(うつわ)円(まる)ければ則(すなわ)ち円(まる)し」の意味となります。 心…

木魚歳時記 第939話

仏法はるかにあらず心中にして即ち近し 弘法大師(こうぼうだいし)さまのおことばです。人間はとかく、遠くばかりを探し求めて近くにある真実を見落としがちです。 鎌倉時代に三光国師(さんこうこくし)とい禅僧がおられました。この人に修行者が禅の真髄…

木魚歳時記 第938話

花ひらけば風雨多く人生別離多し 『唐詩選』(とうしせん)のことばです。離別の最たるものは「生れたならば死ぬ」これは真理です。 パスカルは「我々が明日まで生きることは確実でないが、明日まで生きないかも知れないことは確実である」といいました。武…

木魚歳時記 第937話

心の正しい素直な人になろう 『華厳経』(けごんきょう)に「教えを尊(たっと)び心の正しい素直(すなお)な人は、木石(ぼくせき)にも瑠璃(るり)の光りを見るであろう」とあります。 詩人の八木重吉さんは「花はなぜ美しいのか、ひとすじの気持ちで、…

木魚歳時記 第936話

はからいを離れた智慧を持とう 『仏昇刀利天為母説法教』(ぶっしょうとうりてんいぼせっぽうきょう)にあることばです。ここでいう<はからい>とは、三つの煩悩(ぼんのう)、つまり「三毒」(さんどく)を指します。 <むさぼり>と<怒り>と、真理に対…

木魚歳時記 第935話

始め有るものには必ず終わり有り 中国の『楊氏方言』(ようしほうげん)にあることばです。文字どおりに読むと、物事には始めがあれば終わりもある、それでおしまいです。 鴨長明(かものちょうめい)の著した『方丈記』(ほうじょうき)に「行く川の流れは…

木魚歳時記 第934話

正しい教えを聞こう 『大般涅槃経』(だいはつねはんきょう)にあることばです。仏教を正しく聞いて、これを味わい習うことです。仏(ほとけ)の教えを自己の身につけることです。 仏教を正しく聞くとは、仏教の専門的な<ことば>を覚えことではありません…

木魚歳時記 第933話

志ある者は事ついに成る 『後漢書』(ごかんじょ)にあることばです。やり遂げようとの志(こころざし)があれば大事業といえどもついに成(な)しとげることができる。 仏道修行(ぶつどうしゅぎょう)の心構(かま)えを示したことばがあります。中国の天…

木魚歳時記 第932話

気を配る 本年のエトは、「子」(ね)、つまり<ねずみ>です。俳句においては<ねずみ>の異称(いしょう)として<嫁が君>を用います。正月に忌詞(いみことば)を避けるためでしょう。 原始教典『ウダーナヴァルガ』に「自分を苦しめないことば、また、…

木魚歳時記 第931話

日日に新なり 元旦(がんたん)は、元日(がんじつ)と同義語のように考えられています。しかし、元旦(がんたん)は、一月一日の朝を寿(ことほ)ぐことで、元朝(がんちょう)の意味となります。 「日日(ひび)に新(あらた)なり」とは、有名な中国の『…

木魚歳時記 第930話

法を喜ばば臥安く心悦び意清 『法句経』(ほっくきょう)にあることばです。仏教の教えに出逢ったことを喜びと感じるならば、こころ安らかに眠り、こころおだやかにすごし、こころ清らかに人生を歩むことができる・・そんな意味となりましょう。 人間の世界…

木魚歳時記 第929話

教えを守っておごらず 『遊行経』(ゆぎょうきょう)にあることばです。俳句は季語・定型(五・七・五)を基本とします。しかし、山頭火や放哉のような自由律の俳句も魅力を感じます。 風に吹かれて風にまかせて生きているよう見えて、案外、どっしりと自分…