平素、心のなかに蓄積されていたあらゆる生活が、必要に応じて、忽然(こつぜん)と閃光(せんこう)を発する瞬間が直覚力の火花である。これは思索や反省のように人間のさかしらで無理に静止させた生活ではない。運動する生命力のおのずからの発露である。この瞬間の連続こそ、むしろ本当の生活なのか知れない。
法然はこの朝、青龍寺門前の路を南に向かって、いつものコースからくだる途中、歩上の思想が、いつもの考えのつづきをこう考えたのであった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)765
バーゲンを鷲づかみして嚏かな 嚏(くさめ)
「ボクの細道]好きな俳句(1844) 大峯あきらさん。「満月に落葉を終る欅あり」(あきら) 欅(けやき)がすっかり落葉してしまいました。ただそれだけのことです。すべての執着を解(とき)き放ったケヤキが、巨人のごとく荒野に突っ立っています。空には満月が煌々と照り輝いています。この大自然のスペクタル以外に、一体、なにを必要とするのでしょうか!
をんなどをぎよ(女同行)、よをききなされ。
をとこもつなら、あみだをもちやれ。
させてもろをて、くわせてもろを、
すゑは上をど(浄土)に、いな(行か)せてもらう。
ごをんうれしや、なむあみだぶつ。
『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)