木魚歳時記 第3896話

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 この紀の二位に対する心がやがて、その夫信西に対する信任と重用とになったのである。 しかし権臣信西は、朝子ほどには天皇をお理解し奉らない。暗君(あんくん)ではなかった。
 信西はただブッキッシュな知識人で、人間をも人生をも深くは知らない野心家にしかすぎなかった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)579

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 「ボクの細道]好きな俳句(1645) 種田山頭火さん。「墓地のとなりによい春がきた」(山頭火) 句友の縁で、松山の御幸寺境内に、二間つづきの「一草庵」を見つけてもらい終(つい)のすみかとする覚悟ができたようです。そのころの作品だそうです。次に掲載する「おちついて死ねさうな草萌ゆる」(山頭火)。と、ともに遺句ともいえる作品です。 「無病は信心より来る」(「大乗の十来」)

 羊(ひつじ)5 しかし、彼らは村で止まってしまうのではない。見ていると、遥か向こうに、また彼らの姿が現れる。彼らは遠く地平線に辿(たど)つく。丘を攀(よ)じながら、軽やかに、太陽の方へ昇って行く。彼らは太陽に近づき、少し離れて寝る。