木魚歳時記 第486話

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 極楽浄土は信じたいけれど、死んでからの事はどうでも良いと思います。生きている間に極楽を味わうのが、私の願いであり、励みなのです。傍から見てちっぽけな喜びでも、私自身が大きい喜びと感じたとき、極楽浄土に居る幸せ~と、思うのですが、木魚さんどうでしょうか?(おうま)

 釈迦の教え・仏教の真髄は、(この世で)「生かされて生きる」喜びを知ることです。おうまさんのように、(この世が)喜びで「極楽浄土」であるなら、もうなにもいうことはありません。おうまさんは、釈迦の教え・仏教を理解し、実践しておられるからです。しかし、みんながみんな、おうまさんのように「自力」(じりき)で、つまり、自分の力でそのようにできるとは限りません。なかには、どうしようもなく落ち込んで「なんで自分だけが?」と悩み苦しむ人もいるはずです。では、そうした人たちはどうすればよいのでしょうか?

    とやかくのうはさ恐ろし葛の花