木魚歳時記 第205話

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ご先祖を 丸洗ひして 風光る

 いまどきの若い人たちに「お浄土へ往生すると云っても信じますかねえ?」そうはっきりと聞かれると、ぼく自身も返答に困ってしまいます。

 「信不信をいはず、有罪無罪を論ぜず。南無阿弥陀仏が往生するぞ。」(一遍上人語録)

 編者不明ですが『一遍上人語録』にある言葉です。昔から「信か名号か?」は大議論となったところでありますが、お浄土がどこにあろうとなかろうと、阿弥陀仏(あみだぶつ)を信じようが信じまいが、われわれが往生しようとしまいと、そんなことがどうであってもいい。「阿弥陀仏は阿弥陀仏」であり、「南無阿弥陀仏が往生する」というこの言葉は鮮烈に迫ります。
 ぼくは、この歳になってようやく、阿弥陀仏はあってほしい。お浄土もあってほしい。そしてぼくは、死んだらお浄土へ往生したい。と本気で考えるようになりました。ぼくだけでなく、みんな、いつか、そう考えるようになるものです。

   「青空や 雲雀落しの 大打球」