山姥の 霞喰らひて 子沢山
「極楽」(ごくらく)とは、別名、お浄土ともいいます。文字どおり楽の極み、この上ない「幸せの国」のことであります。
「これより西方十万億の仏土を過ぎて世界あり、名づけて極楽という。その土に仏まします。阿弥陀仏(あみだぶつ)と号したてまつる。今現に在しまして説法したまえり。」 (阿弥陀経)
このように「極楽」とは、砂漠でオアシスと出会うようななもの、さすらいの魂が「エデンの園」に至るようなものです。極楽に類似するものは、ゾロアスター教やヒンズー教やキリストの教にも散見できます。ではなぜ、こうした思想が説かれるのでしょうか?それは、わたしたちの見える「いのち」(科学的命)は終わっても、見えない「いのち」(私そのもの)は「永遠でありたい…」。その願望が極楽の思想を誕生させたのです。
極楽について、それが何処に?どのようにして?と詮索することより、極楽(幸せの国)に生まれ変わりたい…そう願う気持ちが大切です。
「和尚とて 酒の肴に 魚田楽」