山末に 紅あざやかな 寒椿
「そう。世の中無情やねん」。金時姐さんも理解してくれました。でもまだ<無常>を<無情>と勘違い?それ、いうべきかいわざるべきか?
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「スラッシュ・チルドレン・木魚としては…」。意味不明のことばで誤魔化しておかなければ…姐さんあとが恐い。
かの有名な『方丈記』の一節に、「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとヾまりたる例(ためし)なし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。・・・・朝(あした)に死に、夕(ゆうべ)に生まるゝならひ、たヾ水の泡にぞ似たりける」とあります。
このように、中世に<無常観>が生まれた時代背景と、また、左脳(理性脳)で<無常>とうけとめながら、右脳(情緒脳)で<無情>と感じる。そうした日本人の精神構造を考えることも重要です。