木魚歳時記第4774話

 その親鸞は当初、客分として中の房に止宿したが、程なく吉田辺に寓を見つけて去った。親鸞は熊谷と同じく聖覚の手引きで来た。そのせいばかりでなく純真な性情の類似で、親鸞は熊谷と最も親密で、同門間の誤解や反感も熊谷によって多く解かれたが、熊谷が旅に出ると親鸞の直情径行が同門間に気分的旋風をかもし出して、親鸞をしばし孤独感に追い入れた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1408

       かまきりの子どもおやじとおなじ面  面(つら)

 あたりまえといえばあたりまえのことです。ところでぼくの息子は、ぼくに似たところもあるでしょうが・・ぼくのように「へらへら」しないことは確かです。美大を出て東京のソニー系の会社に10年ばかり勤め、それから寺を継ぐために戻って来てくれました。有難いことだと喜んでいます。ところでぼくは、子どもたちにとってフツーの「お父さん」ではなかった?