木魚歳時記 第3927話 

f:id:mokugyo-sin:20190926060855j:plain

 そこには美しい女主人のほか、もちろん侍女たちもいてこの女人ばかりの有閑家庭は客を喜んだから、藤原氏や平家の公子たちなどが、チヤホヤされるままに好んでここに集まり、春宵の歌会、秋夕の管弦などと然るべき口実よろしく、時には、ここに泊まり込んだ人などもあったらしい証拠が歌の詞書きなどに残っているという。
(佐藤春夫『極楽から来た』)603 (NOが戻りますが内容にダブリなし)

          落鮎といちいちふれて歩くのは

 「ボクの細道]好きな俳句(1676) 柿本多映さん。「天才に少し離れて花見かな」(多映) 天才と称される人は、いつの時代でも現れるものです。しかし、この天才がホンマ者かどうか? それは後の歴史が証明することになります。それはともかく、天才、秀才と称される傑物は、考えることもその行動力も凡人とは異なりますから、すこし離れて付き合うのが凡人にとって幸せです。さて、伝教大師(最澄)さまが開かれた延暦寺には、最大、約3000の「坊」(草堂)があったそうです。それが可能となったは叡山の地形に因るそうです。つまり「花折断層」(はなおれ)の隆起により数多くの「平地」(ひらち)が存在したからです。ということは、左京区、松ヶ崎あたりは花折断層に近い?

 やまかがし1 いったい誰の腹から転がり出たのだ、この腹痛は?