木魚歳時記 第1926話

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 師は答えた。「子のある者は子について憂(うれ)い、また牛のある者は牛について憂(うる)う。実に人間の憂(うれ)いは執著(しゅうじゃく)するもとのものである。執著するもとのもののない人は、憂(うる)うことがない。」(スッタニパータ)

 修行者とは、もろもろの欲望に対する「執着」(しゅうちゃく)から解放されることぉめざします。すなわち、修行者とは、もろもろの執著(しゅうじゃく)を離れ、煩悩(悩みの世界)から解放されることをめざします。すなわち、悟りに到達することをめざす者を指します。ここでいう「執著するもとのもののない人」とは、この世において執着から解放された人のことを指します。ここにおいて原始仏教の素形が示されたことになります。

       奥入瀬の流れ抱きて山笑ふ 

                   奥入瀬(おいらせ)