木魚歳時記 第215話

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春洛中 火だねの如き ボヘミアン

 「愚痴」(ぐち)とは、「いってもどうにもならない泣きごとを云う。」と、このように使われています。しかし、本来は仏教用語なのです。さて、わたしたちの浄土宗は、21世紀を迎え、劈頭にかかげたモットーの一つが「愚者の自覚」であります。浄土宗を開かれた法然上人は「還愚痴」」(げんぐち)の聖と呼ばれていたそうですからそれにちなんだものであります。

 「愚痴」とは、ものごとの道理に暗いため、つまり「無明」(むみょう)のために、個々の事実を正しく認識できないことを指します。この愚痴(無明)が心の奥に潜んでいるかぎり、数多くの「煩悩」(煩悩)が生まれてきます。したがって、わたしたちは、生まれてよりこのかた、多かれ少なかれ、この愚痴(無明)に災いされながら暮らしています。そうした自覚に立って襟を正すことで、ものごとの本筋が読め、個々の事実を正しく認識する道が開けてくるのです。

 

    「これやこの 米寿卒寿や 桃の村」