澄んだ眼を 澄んだ涙を 澄んだ祈りを (石川 洋)
「浄土宗21世紀劈頭(へいきとう)宣言」があります。
愚者の自覚
家庭にみ仏の光を
社会に慈しみを
世界に共生を
の四つの標語のことです。
いずれもすばらしい標語ではありますが・・しかし、なんとなく「愚者の自覚」にひっかかります。法然上人のおことば「智者のふるまひをせずしてただ一向(いっこうに)念仏すべし」および「還愚痴」(げんぐち)に由来するのでしょうが? 現代社会において「愚者の自覚」がすんなりと教えのとおりに理解されるかどうか? その点が気になります。