木魚歳時記 第197話

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春風に ふと誘はれて 女人坂

 古代インド。真実を覚った人の真実の言葉は、その通りに実現されると信じられていました。したがって、真実を覚った人の真実のことばによって、幸せな暮らしができると考えられていたのです。

 「この世、また、来世におけるいかなる富であろうとも、天界における勝れた宝であろうとも、われらの全き人(如来)に均しいものは存在しない。この勝れた宝は、目ざめた人(仏)のうちに存する。この真理によって幸せであれ。(スッタニパータ)

 ところで、仏教でいう「三宝」(さんぼう)とは、①仏教の教主である「仏」(真実を覚った人)と、②仏の教えである「法」(この世の真実)と、③法に基く集団、つまり「僧」(僧伽・さんぎゃ)の三つを指します。これをいいかえると、三宝とは、真実に目覚めた人「ブッダ」と、ブッダの教えを伝える「経典」と、経典の教えに基き建設する「平和社会」。この三つを指すことになります。

   「苦虫も 祇園は恋し 春の宵」