木魚歳時記 第19話

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蓮舟で 彼岸に渡る 心地して

 子どもの頃、おやじ(師僧)が、朝早くからカンカンやる伏せ鉦(がね)の音を聞きながら、また、心地よい眠りに落ちた記憶が蘇ってきます。

 浄土宗を開かれた、法然上人のお歌に「月影のいたらぬ里はなけれども、ながむる人の心ぞに住む」、とあります。月の光は、平等に、すべての処に届きます。しかし、そのことに気付かない。法然上人は、わたしたちの「無知」(煩悩)を戒められ、ご自身を「愚痴」(ぐち)・「無知」の法然房と自戒されました。

 「魚(うお)は水に棲んで水の心を知らず。木は林にあって、林の趣きを悟らず」(方丈記)とあります。「こどものお腹が痛くなればお母さんのお腹も痛くなる」。これが、仏さまのお「慈悲」(じひ)です。仏さまの救いの力は、万人平等にさし伸べられ、誰一人として捨て給うことはない。そのことに気づき、信じることが肝要です。それでこそ「蓮舟で彼岸に渡る心地」なのです。