その後、三十三までの十年がほど、法然は遊行癖でも生じたかのように山を上り下りして、ある時は醍醐の寛雅(かんが)に、ある時は仁和寺の慶雅(きょうが)に、さては仁和寺や宇治に、他宗の先達に学んだり法蔵をさぐったり寧日(ねいじつ)もなかったが目ざす法にも秘籍にもめぐりあわず、いたずらに智慧第一の虚名を他宗の間にも喧伝されて、彼は伝説化されるばかりであった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)406
なむなむと唯なむなむと寒念仏 念仏(ねぶつ)
「ボクの細道]好きな俳句(1460) 矢島渚男さん。「栗飯に間に合はざりし栗一つ」(渚男) 栗ご飯から炊き外れた栗がひとつ残っている。それだけのことです。そこになんともいえない詩情が生まれるから楽しい。さて、シマリスの尻尾。シマリス(縞栗鼠)のしっぽ(尻尾)は、敵に襲われると抜け落ちるそうです、しかも、トカゲのしっぽと違い再生しないそうです。あのふさふさした尻尾が抜け落ちたシマリスは、その後、どうして(何を誇りに)生きてゆくのでしょうか? いちどシマリスに聞いてみたいものです(笑)。