(二)嵯峨の清涼寺というのはもと、左大臣源融(みなもとのとおる)の山荘で、道教の道場であった棲霞観(せいかかん)が、その死後藤原道長の有となり仏寺となったもので、はじめは棲霞寺といって、丈六(じょうろく)の阿弥陀如来を本尊としていた。(佐…
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