木魚歳時記第4018話

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 ただ艶麗(えんれい)なだけではなくいかにも明朗闊達な新興武家の出にふさわしい女性であった。これを少女時代に発見した上皇は、さすがにお目が高いというものであろう。
「女子はただ心の持ち方一つで幸せにも不幸にもなるものである」
「身を慎んで品位を保っていれば自然と分に過ぎた幸せにも恵まれる」と日常若い侍女たちにも教えていた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)690

        ヘルニアの疑いとかや暮の秋

 「ボクの細道]好きな俳句(1765) 大石悦子さん。「桔梗や男に下野の処世あり」」(悦子) 「桔梗」(ききょう)は秋季となります。青紫もしくは真っ白い鐘形花をつけ『源氏物語』などにも盛んに詠まれているそうです。「男に下野の処世あり」とは、つまり、現在の地位も、名誉も、雅な暮らしも捨て、一介の庶民としての気楽な暮らしをしてみたい・・わかりますが、現今の「格差社会」を見ていると、そう簡単に、このような心境にはなれない。

 かわ沙魚(はぜ)6 彼は裂けた唇(くちびる)で欠伸(あくび)をし、今しがたの激しい興奮で、まだ息を弾ませている。
それでも、彼はいっこうに性懲(こ)りがない。
私はさっきの蚯蚓(みみず)をつけたまま、また釣糸を下す。
すると、早速、かわ沙魚は食いつく。
いったい、私たちはどちらがさきに根負けするのだろう。

 

木魚歳時記第4017話

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 暑やとて、おん小袖の御胸ひきあげてふたふたとあふがせ給ふ。
とこの女院の侍女の一人が記した文に見えるのも、ひきあげた御胸の色白く肉付ゆたかなのが同性の目にも「あな好もし」と感じたためであろう。
(佐藤春夫『極楽から来た』)689

        綿虫は吐く息よりも軽いので

 「ボクの細道]好きな俳句(1764) 大石悦子さん。「第九歌ふむかし音楽喫茶あり」(悦子) 京都の高瀬川四条下がるに、昔、ミューズという音楽喫茶がありました。戦後のベビーブームに年頃、つまり、ボクたちの10歳ほど下の世代が盛んに通った純喫茶でした。最近、懐かしくなり、訪ねましたが店はもうありませんでした。

 かわ沙魚(はぜ)5 私は彼を釣針からはずして、放してやる。
今度こそ、もうひっかかりはすまい。
彼はすぐそこに、私の足元の澄んだ水の中でじっとしている。その横っ広い頭や、頓馬(とんま)な大きな眼や、二本の髭がよく見える。 

 

木魚歳時記第4016話

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 女院の面影は、この世に比べるべき何物か弥もないほどで、強いてこれを求めるとわずかに弥生の空の下ににおうばかり吹きこぼれた桜だけがいくらか女院に似ているように思われるばかり、聡明、謹厳、自尊、寛容、それに衣類も、当時流行の紺などは見ぐるしいものは召さないだけの高雅な趣味があって、謹厳犯しがたい品格のうちにもこぼれるばかりのあいきょうがあって、時には驚くばか 侍女たちにもうちとけた態度を見せ、白い額にこぼれかかる黒髪なども艶に、ある夏の日、
(佐藤春夫『極楽から来た』)688

    あれがこれこれがあれ食ふ蝗かな  蝗(いなご)

 「ボクの細道]好きな俳句(1763) 秋元不死男さん。「すみれ踏みしなやかに行く牛の足」(不死男) 牛は、でかい図体のわりに細い足首をしています。そのしなやかな足首でスミレの花を傷つけないように(そう思えた)草むらを進む状況が浮かび好感のもてる作品です。

 かわ沙魚(はぜ)4 私は網をあげて、かわ沙魚を放してやる。
その下流の方で、急にぐいぐい私の釣り糸を引っ張るやつがあり、二色に塗った浮子(うき)水を切って走る。
引き上げてみると、またしても彼である。

 

木魚歳時記第4015話

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 この皇子は後の高倉天皇として清盛の次女徳子を中宮に入れて生ませた安徳天皇にみ位を譲り、平家の栄華をここに結晶さる核心となり、やがてはその崩壊の因子ともなった。清盛の異常な官位昇進のかげには、彼女に対する院の寵愛が無かったとは云えまい。
 滋子はこの皇子によって二十一歳で女御、二十二歳で后に立てられ、二十三歳では建春門院の院号を賜った。
(佐藤春夫『極楽から来た』)687

     僧院の土間に固まる鉦叩  鉦叩(かねたたき)

 「ボクの細道]好きな俳句(1762) 秋元不死男さん。「道にはずむ成人の日の紙コップ」(不死男) 成人の日のバカ騒ぎは鎮静いたしました。それはともかく、成人の日に何をするのか? それはやはり見えてきません。成人と自販機の紙コップとの取り合わせがシュールです。

 かわ沙魚(はぜ)3 川を上るとこんどは物音が聞こえて来る。彼は逃げ出すどころか、物好きにも、そのそばへ寄って行く。それは私が面白半分に水の中を踏みまくりながら、網を張ったそばで、水底のを竿で掻きまわししているのである。かわ沙魚は強情だ。網の目を突き抜けようとする。で、ひっかかる。

 

木魚歳時記第4014話

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 彼女は時信の次女で清盛の妻の妹であるが、上皇がはじめて目をつけた時は、平治の乱の翌年で清盛もまだただの参議であったし、彼女は大柄で色白に豊頬明眸の可憐な少女にしか過ぎなかったが、上皇の寵を得て十五歳で上皇の一皇子を生み奉った。
(佐藤春夫『極楽から来た』)686

         蛇穴に入る山奥の一軒家 

 「ボクの細道]好きな俳句(1761) 秋元不死男さん。「煌々と夏場所終りまた老ゆる」(不死男) お相撲では、いろいろ世間をさわがせましたが・・相変わらず、満員御礼の「札」(ふだ)と「日の丸」国旗とが、煌々(こうこう)と照らし出されて夏場所も終わりました。相撲中継に熱中していた(俳句作者)も、また、さらに老け込まれたのでしょうか?

 かわ沙魚(はぜ)2 彼は川底の砂の上に壜(びん)が一本転がっているのを見つける。中には水がいっぱい入っているだけだ。私はわざと餌(え)を入れておかなかったのである。かわ沙魚(はぜ)はそのまわりを回って、頻(しき)りに入り口を捜していたと思うと、さっそくそいつにかかってしまう。

 

木魚歳時記第4013話

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(三)しかし武将兼大貿易商人であった清盛の心を尽くし金ににあかしてのごきげん取りも、後白河上皇の心に結びつけたものは、小弁といった院の後宮の一少次女、平滋子(しげこ)の容色であった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)685

         花野来て己が居場所を探しけり

  「ボクの細道]好きな俳句(1760) 秋元不死男さん。「亡き友は男ばかりや霜柱」(不死男) 戦友の死を思い出してのこと? いやそうではない。住所録から消える「者」に男が多い? ボクは後者だと思います。 なぜなら、それでこそ「霜柱」が効いてくる。一定の齢を重ねると、こうした現実が多くなります。

 かわ沙魚(はぜ)1 彼は早い水の流れを遡(さかのぼ)って小石伝いに道をやって来る。というのが、彼は泥も水草も好きではない。(ルナール『博物誌』より)

 

木魚歳時記第4012話

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 蓮華王院は千手千眼(せんじゅせんげん)観音像一千一体と二十八部衆とを安置した長大な仏殿で、これは以前、忠盛が天承(てんしょう)元年三月十三日、鳥羽法皇の御願を奉じて造建した得長寿院の先例を追うたものであった。というのは得長寿院は、忠盛の昇殿の契機、平氏進出の機縁となって一門に縁起のよい仏殿であったからである。
 こなところに父忠盛のやりかたを学んだばかりでなく、清盛はまた父の事業であった海外貿易をつづけるのも忘れなかった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)685

          綿虫の膨れたりまた萎んだり

 「ボクの細道]好きな俳句(1759) 秋元不死男さん。「ひらひらと猫が乳呑む厄日かな」(不死男) 「厄日」(秋季)は二百十日、二百二十日など、農家の収穫に影響を与えるような天候不順のことを指すようです。それはともかく、子猫は、母乳を飲むときに、母親の乳房をリズミカルに押す習性があります。母乳の出をうながす本能なのでしょう。その子猫の肉球の動きを「ひらひら」と表現したところが秀逸です。

 鹿8 「僕の方は、君の好きな草を、自分で手づから君に食わせてやる。すると、君は、散歩でもするような足取りで、僕の鉄砲をその角の枝に掛けたまま運んで行ってくれるんだ」