木魚歳時記 第3574話

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 屋敷の馬場場にはもう昔の肥馬は無かったから、観覚は、山から旅人のためにつれて来た従者に命じ、早朝から二本平の牧に駒を探しに出していた。
 辰(たつ)の刻ばかりに待ちかねた駒が来た。見るからにみごとなものであった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)277

      まつさきに蛇穴を出ておもふこと

 「ボクの細道]好きな俳句(1324) 山口誓子さん。「富士山頂吾が手の甲に蠅とまる」(誓子) 富士山の登頂経験のないボクがいうのはおかしいかも知れませんが、精根使い果たして、頂上にどりついた登山者の手の甲に蠅(はえ)が・・出来すぎた話のような気もいたします。しかし、現今、登山者の激増で山頂付近が汚れ気味? そんな話を聞くにつけてもありうる話かも知れません。

 

木魚歳時記 第3573話

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 領主の奥方と若君とが来ているのが一夜のうちに庄内に知れ渡って、人々が引きもきらず挨拶に来たのは、実のところ少し有難迷惑であったが、馬を待つ間をそれに費やした。
(佐藤春夫『極楽から来た』)276

       牛蛙もう出るころや会ひに行く

 「ボクの細道]好きな俳句(1323) 山口誓子さん。「街道に障子を閉めて紙一重」(誓子) 「てんてんてん毬(まり)てん手鞠(てまり)」「鞠と殿様」の童謡を思い出します。掲句は、当代を詠ったものでしょうが、格子戸と障子(しょう)を隔て、家の中と街道が、格子・障子一枚でつながるという関係は懐かしい。格子戸が「サッシ」となり生活環境は一変しました。

木魚歳時記 第3572話

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  母子、姉弟、叔姪の三人で、なつかしくいまわしいこの座敷に、来し方行く末をそぞろに語りつづけた。亡き人が遺愛の八重ざくらはまさに満開でくれなずむ夕影にあやしく、あでやかに、夜に入っては雪解けの山水が屋をめぐって昔を語りがおに鳴りひびいた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)275

      風の子の来て風船をくれといふ

 「ボクの細道]好きな俳句(1322) 山口誓子さん。「学問のさびしさに堪へ炭をつぐ」(誓子) 書斎で書物に埋もれ、学問にふける孤高の哲学者の姿を思い浮かべます。仏教真理の追究に生涯をささげられた尊敬する小笠原秀實先生のお歌「足跡の残らば残れ足跡の消えなば消えね一人旅ゆく」を思い出しました。小笠原秀實先生には「さびしさに堪へ」の措辞はあたらないように思います。

木魚歳時記 第3571話

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 しばらく無住で荒れた稲岡の屋敷は、あらかじめ特に命じて掃除させてあった。一泊して互いに惜しむ別れを、この家にもわかちたかったためである。
(佐藤春夫『極楽から来た』)274

      春風にぴんと立ちたる馬の耳

 「ボクの細道]好きな俳句(1321) 山口誓子さん。「薔薇熟れて空は茜の濃かりけり」(誓子) 前述の「誓子さんは俳句の神さま」。その理由の一つに、わずか17文字ながら、その「構成力」「組立」の完璧さがあるからです。単なる、叙景、抒情だけでなく、意味、内容の密度の完璧さに感嘆するのです。すべて作者の切磋琢磨の結果なのでしょう。

木魚歳時記 第3570話

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 そこで卜(ぼく)し得た春うららかな吉日を観覚は童子を率いて山を下り、先ず倭文錦織(しどりにしごり)の家に姉を誘って稲岡へ出た。稲岡では父時国の墓前に勢至丸の上京修行の報告をして、一同しばらく尽きせぬ涙をたむけた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)273

      はらみ猫よほど疲れてゐるやうだ

 「ボクの細道]好きな俳句(1320) 山口誓子さん。「春の夜や後添が来し灯を洩らし」(誓子) 誓子さんご自身のことではないでしょ? と思います。なぜなら「灯を洩らし」とありますから、数年前、奥様を亡くされた隣家あたりから、それらしき「うす明かり」が・・それも、洩れる灯りにもぬくもりが感じられるから、そうした作品と読みました。

木魚歳時記 第3569話

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 観覚としても決して甥の道中に不安がないわけではないが、ぐずぐずして時機を失したくない。暑からず寒からず、はやり病のない春のうちに旅立たせたい。この思いは誰もが同じであつた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)272

      昔から朧のころが好きでした   朧(おぼろ)

 「ボクの細道]好きな俳句(1319) 山口誓子さん。「夏草に汽罐車の車輪来て止る」(誓子) 夏草の茂る待避線に汽罐車(きかんしゃ)が来てゴトリと止まります。大きな動輪の動き、ふきだす蒸気の音、あたりの寂けさの中で、巨大な躯体の制動の瞬間が目に浮かびます。ボクは、誓子さんのことを俳句の神さまだと思っています。その理由は、誓子さんの作品に触れることでわかります。

木魚歳時記 第3568話

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 こういう道中だから、当時、南都や北嶺を領家とする荘園の若者たちが寺内の事務管理者を志して入山するするに当たって、この大衆がわが荘園の武士どもを伴奴として上らせてのが、そのまま山に住みついて堂衆といわれ、この堂衆と大衆とがついに僧兵の大群となったものといわれる。
(佐藤春夫『極楽から来た』)271

      凍鶴や白紙のままの委任状

 「ボクの細道]好きな俳句(1318) 木下夕爾さん。「地球儀のあをきひかりの五月来ぬ」(夕爾) カーテンの隙間から洩れる新緑の色が、机の隅に置かれた地球儀に映えます。宇宙船ボストーク(1号)のガガーリン少佐が云った「地球は青かった」を思い出します。生きとし生けるもの、今、春の真っ盛りです。世界のすべてが平和でありますように。