木魚歳時記 第3567話

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 陸の旅とて山賊がいないでもないが、治安ならこの方が多少よいが、はるばると野山に草枕の困難は家枕の非ではない。子を思う母の案じわずらうのも道理である。
(佐藤春夫『極楽から来た』)270

      春の昼鶏のまぶたのゆるむころ

 「ボクの細道]好きな俳句(1317) 木下夕爾さん。「冬凪や鉄塊として貨車憩ふ」(夕爾) 貨物列車の操車場の風景でありましょう。待避線に止まったまま置かれてある貨車、これはいつ動き出すのでしょうか? それはもう鉄の塊(かたまり)としか映りません。「冬凪」(ふゆなぎ)の季語が効いています。

木魚歳時記 第3566話

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 さて今日は、観覚が三度目に出向いて来て、道中の相談であった。可愛い子にどうして旅をさせようか、海路か、陸路か、どちらもあんまり安心できない。
 海路は日和さえ見定めれば楽であろうが、純友(すみとも)の事以来横行しつづけている海賊のことが陸路より危ない。
(佐藤春夫『極楽から来た』)269

      母ひとり子がひとりゐる小鳥の巣

 「ボクの細道]好きな俳句(1316) 木下夕爾さん。「秋の日の瀬多の橋ゆく日傘かな」(夕爾) 近江の瀬田の唐橋を詠った作品でしょう。むつかしい言葉も、目を引くような言葉もありませんが、自然詠の中に作者の日常が偲ばれるようで、味わい深い思いがいたします。抒情俳句とは元来そうしたものでしょうか? 作者の心の1ページを飾る作品であればそれで十分なのでしょう。

木魚歳時記 第3565話

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(二)はじめは何かと二の足をふんで、弟のせっかくのすすめにも従わなかったえ童子の母も、観覚の熱心に動かされたころ、観覚が最後の手だてに、童子自身が出向いて口説かせたのが功を奏したか、しばらく見ないうちに、急におとなびたわが子の立居ふるまいとその語るところの分別とに安心して、童子の上京もいよいよ母の許しが出た。
(佐藤春夫『極楽から来た』)268

      じゃがいもの畑もいつか青々と

 「ボクの細道]好きな俳句(1315) 木下夕爾さん。「にせものときまりし壺の夜長かな」(夕爾) 書画、骨董類の鑑定には、時代考証など特別な眼識を必要とします。鑑定士にダメ(贋作)といわれてしまえばそれまで。グチをさしはさむ余地はないでしょう。しかし、先祖伝来の「壺」を贋作と判定されたその夜の長いこと、悔しいこと・・そぞろ寒の季語が効いて来ます。

木魚歳時記 第3564話

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 「都ですぐれた師に就き、切磋琢磨(せっさたくま)の友を持てば自然とはげみも出て大成します。勢至丸はもう童子ではない。山寺でわたしなどが教える器量ではありませんから、こうお願いするのです」
 と、観覚の熱意は面(おも)にあふれている。同じ相談はその後も度重ねられた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)267

       奥吉野花がときどき眠つたり

 「ボクの細道]好きな俳句(1314) 木下夕爾さん。「たべのこすパセリのあをき祭かな」(夕爾) まるで、今、ボクの前の食卓に盛られたパセリの、みずみずしくて青々とした様子が目に浮かぶような作品です。わずか17文字ながら、文芸といものの底力をまざまざと感じさせる作品です。。

木魚歳時記 第3563話

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「あの全僧連のことを心配しておられるのですか。あれはすべての大衆のことで決して全山があの騒ぎではありません。あれは一部の大衆や堂衆の行動です。学侶は学侶で静かに道を求めています。
(佐藤春夫『極楽から来た』)266

      涅槃西風畑も青くかすんでる  涅槃西風(ねはんにし)

 「ボクの細道]好きな俳句(1313) 木下夕爾さん。「冬の坂のぼりつくして何もなし」(夕爾) なるほど、知らぬ土地を訪れて、坂と出会うと上に(何があるのだろう?)と、登ってみたくなるものです。そこで息を荒げながらも登り切ってみると、目の前に、鳥居(神社)があり、塔(寺)があり、それとも、わけのわからない「空き地」がひろがっているものです。日本にわそうした処が多いのです。

木魚歳時記 第3562話

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 それでも都はもの騒がしく不安なありさまではありませんか。南都にせよ北嶺にせよ、修行どころか打ち物取っての大あばれというではありませんか。一つぶ種のわすれがたみを、そんな危っかしい都へは出せませんよ」
(佐藤春夫『極楽から来た』)265

      三月の分かれの甘さほろ苦さ

 「ボクの細道]好きな俳句(1312) 木下夕爾さん。「秋刀魚焼かるおのれより垂るあぶらもて」(夕爾) 「おのれの身からしたたるあぶら」で極上に焼き上がるサンマ。火にあぶられ、自身のアブラ(努力)でわが身を磨き上げる。至極の修行者の姿であります。最近、樹木希林さんのことを知って感銘を受けました。

木魚歳時記 第3561話

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「そう足もとから鳥の立つようなことをいい出しても」
「でも勢至丸も、もはや十三歳、おとなです。元服させてもよい年ではありませんか。いつまでも子供だと思っていてはいけません」
(佐藤春夫『極楽から来た』)264

      花冷や雲がちぎれて飛んでゆく

 「ボクの細道]好きな俳句(1311) 木下夕爾さん。「友も老いぬ祭ばやしを背に歩み」(夕爾) いつもの仲間と祭見に出かけられたのでしょう。祭りの喧噪から少し離れた処に来て、ふとみる友人の姿に老いの気配を感じ唖然とされた・・もちろん、おなじようなことが我が身に起こっているはず・・最近、ブログ筆者も同じような思いに駆られた記憶があります。