木魚歳時記 第3388話

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 万一刀傷がもとで時国が死ねば押領使殺しである。しかも下手人(げしゅにん)の証拠たる額の矢傷はいいのがれのすべもない。小矢児の評判が立つにつれて定明は気が気ではない。
(佐藤春夫『極楽から来た』)92

      はんざきの怪魚食らひて泡一つ

 「ボクの細道]好きな俳句(1137) 田中裕明さん。「秋の蝶ひとつふたつと軽くなる」(裕明) 秋の蝶は春のそれと比べると弱々しく飛ぶように感じます(そう思うだけかもしれません)。「ひとつふたつと軽くなる」とは、蝶の動きそのものより、その数の減ってゆくことを暗示させるようでそこに凄さを感じます。

 

木魚歳時記 第3387話

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(三)漆時国の傷が癒(い)えにくいと聞いて心を悩ましたのは明石定明(あかしのさだあき)であった。
 定明は時国を切りつけはしたが、殺意のなかったことは、居館に火をかけようとした時、人々を押しとどめて許さなかった事実をわれわれも見ている。
(佐藤春夫『極楽から来た』)91

      炎天や近くて遠き解脱門

 「ボクの細道]好きな俳句(1136) 田中裕明さん。「白魚のいづくともなく苦かりき」(裕明) ボクは、白魚の目が気になり踊り食いはできません。そのようなことを17文字にすればこうした作品が生まれるのでしょう。そんな作者の気持ちを、さりげなく伝えようとするなら「苦かりき」の表現となるのでしょう。

 

木魚歳時記 第3386話

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「定明の一味が襲って来る? なんのそんな心配がいりますか。それどころか、やつは押領使殺しのおたずね者でびくびくものでしようよ」
(佐藤春夫『極楽から来た』)90

     どこの子か両手に蝉をにぎりしめ

「ボクの細道]好きな俳句(1135) 田中裕明さん。「大学も葵祭のきのふけふ」(裕明) 田中裕明さんの感性は摂津幸彦さんとはまた違います。しかし、作品を読む者の心をとらえて離さない魅力は似ています。二人が早世(50歳前後?)されたということにおいても不思議な相関を感じます。

 

木魚歳時記 第3385話

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 「末世の人には珍しく奇特な遺言をされましたな。小矢児の話も聞き伝えて武士になる子かと思ったに、やはり出家する人でしたか。これもめでたい。当人がその気ならいつでも世話はします。ゆつくりお考え置きなさい。
(佐藤春夫『極楽から来た』)89

     僧院にガム噛む少女夏きざす

 「ボクの細道]好きな俳句(1134) 摂津幸彦さん。「さやうなら笑窪荻窪とろゝそば」(幸彦) 笑窪荻窪(えくぼおぎくぼ)がなんとも心地よいようでさびしい。この作品が早世される末期の作品であるとしたらあまりにも悲しい。次にご紹介する田中裕明さんと摂津幸彦さんの作品は、ボクの心の片隅に居ついて離れることがありません。

 

木魚歳時記 第3384話

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 姉が子をつれて実家に帰っていると聞いた観学は俗縁ながら不幸な姉を慰めようと一日、山を下ってきた。彼はつぶさに語られた義兄時国の最後やその遺言、その後の姉とその子のことなど姉の語るのを聞いたのち、
「さすがは兄上」
と、観学はしみじみと、
(佐藤春夫『極楽から来た』)88

      訪れは雨たればかり額の花

 「ボクの細道]好きな俳句(1133) 摂津幸彦さん。「土砂降りの映画にあまた岐阜提灯」(幸彦) 「土砂降り」が、古びたシネマ(映画)の傷(フイルム)なのか? 「岐阜提灯」(夏季)の場面にある夕立なのか? ボクは後者だと思います。おわず寅さん映画を連想してしまう・・そうです、どこまでもノスタルジアがつきまとうのが幸彦さんの俳句なのです。

 

木魚歳時記 第3383話

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 得業(とくごう)の叔父さんというのは母の弟が出家して観学(かんがく)といい北嶺叡山(ほくれいえいざん)や南都に学んで得業の僧位を得て、現に津山の東北三十キロばかりにある那岐山(なぎさん)、中腹の菩提寺(ぼだいじ)に住んでいた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)87

      青鷺の独去独来独居癖 

 「ボクの細道]好きな俳句(1132) 摂津幸彦さん。「鶏追ふやととととととと昔の日」(幸彦) 幸彦さんの作品にしては、いささか、異質の感もいたします。幼い頃に、母の背に負われたときのノスタルジアが感じられ懐かしい思いにひたります。幸彦さんは、ともかく「感性」の作家であることに間違いありません。早世されたことが惜しまれる。

 

木魚歳時記 第3382話

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 「そういう勉強もあるの?」
「神さまや仏さまにお仕えする人のする勉強です」
「では得業(とくごう)の叔父さんに聞けばよくわかるでしょう」
子は目をかがやかし母を見上げて問うのに対して、
「そうね、いいところに気がつきました」と、母は答えた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)86

     ご先祖を丸洗ひして風光る

 「ボクの細道]好きな俳句(1131) 摂津幸彦さん。「雨の日は傘の内なり愛国者」(幸彦) 或る時、あるお方から、摂津幸彦さんの句集をお借りしたことがあります。以来、幸彦さん俳句に興味を持っています。揚句は、作者の思いを「自虐的」には読み取りたくありません。ボク自身のありかたをも含めて、日本はこのままでいいのか・・そんなことをふと考えました。