木魚歳時記 第527話

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 もとの仏教用語と違った意味に用いられている言葉の例をいくつか見てきました。この我慢も、現在「辛抱する」とよい意味に使われますが・・実はそうではありません。

 インドに古くから伝わるバラモン教では、自己の中心に、アートマン(我)の存在を考えました。しかし、仏教では「無我」(むが)の立場をとりますから、我ありと考えて慢心することは排除いたしました。我を中心に心が驕慢(きょうまん)となることを戒めたのです。ですから、仏教では「我慢」(がまん)という語は、悪い意味に用いられたのです。いつの間にかそれが、我が強い、負けぬ気が強い、頑張りがきく、辛抱強い、などなど・・良い意味に用いられるようになったのです。

   冬めきて素足のままの托鉢僧