朝晩ひとり歌い暮らしつつ十二、三になっていたが、十五のころには本式に歌う志を立て、その後は遊女や、くぐつ女(め)、さては専門の歌い手などを歌い相手として自由に楽しく交友した。
格式ばらない庶民の自由さ、庶民生活の情愛ゆたかな楽しさをほんとうに味わい知って居られる上皇にとって、庶民こそまさしくふるさと人のような存在であった。
み位を心ならずも近衛天皇にお譲りになった院のおん兄崇徳天皇は、新院となって、日ごろ歌い暮らしてわずかに身を慰めている弟の不満とさびしさとをはじめて理解することができた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)558
汗血の馬を盗みに行くやうだ
「ボクの細道]好きな俳句(1623) 種田山頭火さん。「鉄鉢の中へも霰」(山頭火)。これも多くの人に膾炙(かいしゃ)されでいる代表句の一つでしょう。前作品に比べて自然詠の色彩が強い反面、鉄鉢(てっぱつ)の中にはねる霰(あられ)の音が聞こえてくるような力強い作品です。 「三昧王菩薩のてんげんは 虚空海会に散乱す」(梶原重道『菩薩曼荼羅』)
馬(うま)4 いったい、こなことが彼には嬉しいのだろうか。
わからない。
彼は屁をひる。