定明はこうしてタイムリーにこつそり弓削から脱出した。それ故、時国が死に、秦氏が幼童を抱きしめて定明の二度の来襲をおそれていたころ、定明はもう淀の川船にいた。そうして国衙(こくふ)がきびしく彼を求めたころにはもう都で権大納言の家人になっていた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)100
山姥も捨子もからめ野分来る
「ボクの細道]好きな俳句(1144) 星野麥丘人さん。「白玉やくるといふ母つひに来ず」(麥丘人) 作者の壮年期の作品でしょうか? 仕事か何かの関係でお母さんと別に暮らしておられたのでしょう。都会の見物も兼ねてぜひ上京する予定であったお母さんが来られない。体の調子でも悪くなければいいのですが・・