「ぼくが」 「わたしが」
と自分のことをじまんする鼻は高い (米田啓祐)
大学事務をリタイヤした時に俳句を始めました。それを記録に残すために、このホームページが始まりました。
俳句も写真も小文も同じ。そんなふうに感じていたところ芭蕉の次の一句と出会いました。「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休の茶における、其(その)貫道する物は一(いつ)なり。」(『笈の小文』)
ぼくにとって、今、貫道(かんどう)するものは何か? それは「はっきり・すっきり・どっきり」創ることだと考えています。