木魚歳時記 第1025話

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「ぼくが」 「わたしが」
と自分のことをじまんする鼻は高い  (米田啓祐)

 大学事務をリタイヤした時に俳句を始めました。それを記録に残すために、このホームページが始まりました。
 俳句も写真も小文も同じ。そんなふうに感じていたところ芭蕉の次の一句と出会いました。「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休の茶における、其(その)貫道する物は一(いつ)なり。」(『笈の小文』)
 ぼくにとって、今、貫道(かんどう)するものは何か? それは「はっきり・すっきり・どっきり」創ることだと考えています。

     僧堂にうはさ話や白い靴