一を聞いて十を知る
『論語』(ろんご)にあることばです。真に賢明(けんめい)な人とは、ものごとの本質を理解する能力に秀でた人のことです。
親鸞(しんらん)上人は「仏法(ぶっぽう)を聞くといふは、仏(ほとけ)の本願(ほんがん)を聞きて疑(うたが)う心のなきをいふなり」とおっしゃっています。つまり「衆生(しゅじょう)を救済(きゅうさい)することが仏(ほとけ)の願である」。このことを信じることです。仏法(ぶっぽう)に疑いの心があるかぎり、仏法(ぶっぽう)を聞いても、ほんとうに聞いたことにはなりません。相手を信じてこそ、相手のことばの真意がほんとうに理解できるのです。