「大乗」(だいじょう)の原語は、サンスクリット語のマハー・ヤーナ、つまり「大きな(マハー)乗り物(ヤーナ)」という意味であります。
「苦しいことが多いのは
自分に甘えがあるからだ」(石川洋)
釈迦滅後、自身の解脱を目的とする、エリート集団にあきたらず、すべての人々は、ブッダ(覚者)となりうる素質をそなえている。そうした人々は、自身がブッダ(覚者)となるにとどまらず、他の人々をも覚りにみちびき、ブッダ(覚者)とならしめようとする(仏教ではこうした人々を菩薩と呼びます)。すなわち、エリート集団から、一般民衆の側にウエイトをおいて、仏教が説かれるようになります。