木魚歳時記 第203話

f:id:mokugyo-sin:20131219112453j:plain

これやこの 眼がものをいふ 目刺かな

 ぼくの師僧(おやじ)は、いつも「お寺はありがたいなあ…」といいながら暮らしていました。お布施(ふせ)のお蔭で毎日が過ごせていたからです。ぼくもこの歳になって、同じ気持で暮らしています。

 「与える前には心楽しく、与えつつあるときには心が清らかで、与え終わって、満足する。」(アッグッタラ・ニカーヤ)

 原始経典である、アッグッタラ・ニカーヤ(増支部経典)にあることばです。要求されたり、さしだすことに躊躇したり、その後で後悔するようでは布施(ふせ)とはなりません。与えることが喜びであり、与えられた相手も喜ぶのが布施であります。足し算掛け算の結果を計算するのではなく、つまり、ギブアンドテイクというか「見返りを期待するのではなく」、ボランテイア(奉仕)の気持ちで行なえるのが布施の行為であります。
 仏教では、この布施の行為を「菩薩道」(ぼさつどう)と呼び、仏道修行の眼目といたします。

   「夕東風や 忍べる恋は 背戸より」