興福寺の訴えの出た翌年の二月十四日、朝廷では、ついに院宣を下して処罰することになり、法本房行空、安楽房遵西を召し進ぜしめて彼らを配流1 。 遵西は有力な念仏の宣伝者であり、行空は義の一派で操行上の欠点が多かったらし い。この二人を代表的に処罰…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。