斎院退下の後は三宮に准(じゅん)ぜられて、生涯ご独身で通されたが、保元の乱にはおん伯父君崇徳上皇を讃岐に送って生別あらせ、ご同母のおん兄似仁王は平氏打倒の第一陣に失わせられ、おん父は平氏との有折衝に御多端なおん立場にあらせるのを常に見守ら…
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