頼朝は建久九年冬、相模河(馬入川のこと)橋供養の帰途、八的原(やまとがはら)という所で、滅ばされた源氏・・義広、義経、行家以下の人々が現れて頼朝と目を見合わせ、ここを過ぎて稲村崎の海上に赤い頭巾の十歳ばかりの童子が現れて安徳天皇と名乗って…
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