しかし四月二十二日、山徒は遂に日吉、祇園、北野三社の神輿を奉じて宮闕(きゅうけつ)に詣り、佐々木父子の死罪を請い神輿を捨てて去った。 定国はこれより先、既に逐電していたから、宣旨を頼朝及び近畿諸国に下して定重を捕えしめ、はじめは父子を流罪に…
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