折から近江の総追捕使佐々木定綱は在京中で、その子定綱が在国であったが、佐々木荘では去年の水害のため未進であったのを、山徒の宮司がこれを責めること急であった。遂に火を放って近辺の人家を焼失した。定重の郎党らが出てそれを防ぐうち、争いとなって…
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