山門では建久元年、かって大原問答の主催者であった顕真を隠棲から召し出して座主に起用したが、翌二年七月には栄西が帰朝して禅宗を弘めなどし、慈円(兼実の弟)の座主就任のうわさも、思いがけない顕真の起用で立ち消えになる。兼実はこれらを山門といわ…
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