1263兼実はこうして院の御反感を蒙った上に、院の寵妃、浄土寺の二位こと丹後局まで法皇の御意を体してか兼実に好意のない様子であった。その上近衛基通の側には当時政界の飛将軍とまで言われた策士の土御門通親がいて、これがまた、院の乳母との関係から院…
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