忠度は義経の中央突破による混乱で、味方の軍船に至る隙を見出せず、最も遠く逃れ来て討たれたのであるが、東口の副将重衡は、湊川、狩藻川も打ち渡り駒林、板宿、須磨と敵に追い続けられ、船に乗り込む隙もなく、馬を射られて海に乗り入れながら生け捕られ…
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