義仲としては以仁王の令旨で起こって平氏は追撃されたのであり、また以仁王は国事に殉じて薨(こう)ぜられた酬いをその遺弧が受けるこそ当然だいう理屈で、また表にこそ出さね、その心中では幼少で父君を失われた御子の御境涯にわが身の上を感じて共鳴深く…
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