また朝臣の一部にも天台の座主、顕宗の棟梁を惜しみ法皇受戒の師であるからと流刑を不可とする意見もあったが、上皇は耳をかし給わず、敢然と、二十一日明雲を還俗せしめて藤原松枝と呼ばしめて、この夜直ちに、剣非違使(けびいし)に引かせて白河の宿坊を…
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