というのは、この藤原師高は院の寵臣で股肱(ここう)たる西光法師の長子で目代はその弟であったからである。延暦寺は院の処置を不満として山法師どもを繰り出させた。事を好む山法師どもは得たりとばかり、神輿(みこし)をかつぎ出してきらら坂を下った。…
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